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2013.11.25

「小狐登場」1948 年

 

 

絵づくりからプリントまで自らの手で

「アマチュア」の意識が高い作品性の源に

 

生前から国内外で高く評価されていた植田正治だが、彼自身の意識は、あくまで「アマチュア写真家」であった。

 

当時、プロの写真家の大半は、東京を拠点にし、職業として雑誌などの依頼に応じて撮影をするスタイルが主流であった。

 

地元・境港で暮らし続け、ときに依頼仕事をこなしながらも、「撮りたいモノしか撮らない」という姿勢を貫いていた植田は、職業写真家ではない、という意味で「アマチュア」を自覚していたのだろう。

 

しかし「アマチュアの自覚」は、作品の稚拙さを自負していた、という意味ではもちろんない。植田の写真を観ていると、むしろ、撮りたいモノを撮るために妥協をしない精神こそがアマチュアリズムと思えてくる。

 

植田は、写真を撮ることを「撮影」とは言わず「写真する」と表現した。ただシャッターを切るのではなく、「作品を制作するのだ」という強い意識があった表れだろう。

 

時間をかけて構図を考え、演出をし、シャッターを切る。自ら暗室にこもって現像し、プリントされたモノクロ写真には、植田の「魂」が込められていると言っていい。その想いは、時を経て展示室に整然と並べられても劣化することなく、観る者に強く訴えかけてくる。

 

今回の回顧展には、全盛期のモノクロ写真ばかりでなく、植田が撮影したムービー(ARB「After45」のプロモーションビデオ)や晩年のカラー写真も展示されている。

 

自らの地位を確立してからも「アマチュア精神」を失うことなく、生涯写真を撮り続けることを選んだ植田正治。

 

体力的にフィールドワークに出ることが難しくなっても、机上の小さな空間に自らの世界をつくり、切り取っていった。日本画のように美しい静物や、花の接写。多重露光の技術を使ったり、インクジェットプリントで仕上げるなど、新しいことにも挑戦し続けていた。

 

会場で、最後の作品を前にしたとき「植田正治という写真家は、ほんとうに写真が好きだったんだな」と思った。

 

どれほど印刷技術が向上し、高い精度で再現できるようになったとしても、絶対にオリジナルにはかなわない。植田が表現したかった光の濃淡や微妙なニュアンス、空気感を、ぜひともその目で見ていただきたい。

 

(文・久保加緒里)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

題名不詳 1949 年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「猿のマスクをかぶった自画像」 1975 年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「小さい伝記」より 1977 年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「白い風」より 1981 年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日本びいき」より 1993 年

 

 

生誕100年!植田正治のつくりかた

会場:東京ステーションギャラリー

東京都千代田区丸の内1−9−1

会期:~2014年1月5日(日)

開館時間:10:00~18:00(1月3日を除く金曜は~20:00、入館は閉館30分前まで)

休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌火曜休館)、12月29日~1月1日

入館料:大人900円、高大生700円、小中生400円

※20名以上の団体は100円引

※障害者手帳等を持参の方は100円引、その介添者1名は無料

問い合わせ:03-3212-2485

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/

 

 

 

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