デザインインフォメーション
音と映像によるインスタレーション空間
坂本龍一|設置音楽展
音楽家・坂本龍一の8年ぶりとなるオリジナル・アルバム『async』が3月末に発売された。リリースまで音源がまったく明らかにされず、「あまりに好きすぎて、 誰にも聴かせたくない」という坂本氏の言葉が新作への期待感を高めていた。ようやくベールが解かれた直後からは、ワタリウム美術館で「坂本龍一|設置音楽展」が開催中だ。一つのアルバムの世界に浸ることができる、稀有な展覧会となっている。
予想を超える異例づくしの展覧会
新譜に合わせたインスタレーション
前作「out of noise」から8年。坂本龍一のニューアルバム『async』が3月末にリリースされた。
坂本氏の「あまりに好きすぎて、誰にも聴かせたくない」という言葉、またアルバム発売に先立ってサイトに表示された「SN/M比50%」という謎めいたメッセージだけが巡っていた異例の作品。特設サイト(skmtcommmons.com)では、坂本氏のこれまでの軌跡をたどる「予習」、新アルバムの内容を推測する「予想」があげられ、さらに期待感を高めていた。
待ちに待った発売に合わせて、このアルバムの世界観に没入させる、また補完するような「坂本龍一|設置音楽展」がワタリウム美術館で開催されている。
2階に上がるとまず「on async: 」として、新作制作の過程で坂本氏がインスピレーションを受けた書籍や写真、メモ、譜面などの展示がある。白い壁面には、いくつかの外国語による詩のようなフレーズが綴られている。
続けて入る、黒くて暗い、天井高のある空間が今回の展示のメイン会場。並べられたベンチに座ると、周りから圧倒的な音が聞こえてくる。また、前と左右の壁面に設置された8台のモニターには、ゆっくりと変化する映像作品が映し出されている。
この音こそが今回のアルバムであり、2階会場では全編が流されている。周りに配されているのは、坂本氏が最も信頼しているという、ムジークエレクトロニクガイサイン製スピーカー6台。音は5.1ch サラウンドで体験でき、音に包み込まれるような感覚がある。そして、かすかな音の変化を受け取ることができる。
「環境音楽のようであり、映画のサントラのよう」というのが、最初の感想だ。「普通」の音楽とは、およそかけ離れている。鮮烈なメロディが続くのではなく、ノイズのような音が響き合う。時折鳴るのは、ピアノの弦を直接叩いたものだろうか。
「これは何の音だろう?」と推察するのもつかの間、一定のリズムやテンポにコントロールされていないからか、感情が微妙に揺り動かされる。じっと聴いていると、時間や空間、過去の記憶がないまぜになっていくようだ。
映像を喚起させる音であるがゆえに、コラボレーターとして映像作家の高谷史郎氏を選び、映像を制作してもらったという。映し出されるのは、坂本氏が普段使っているであろうピアノやシンセサイザー、また鉢に植えられた観葉植物など。時間とともにじっくりと移り変わる映像は、音と溶け合って一体となる。
いつしかボーっと音に身を任せるように聴いていると、一周する。夢を見たような心持ちで再び手前のスペースに出ると、壁にあしらわれていた文章は「And this I dreamt, and this I dream, 」と始まるものであることに改めて気づく。
この文は、ソビエト連邦の映画監督アンドレイ・タルコフスキーの父親である、アルセニー・タルコフスキーによる詩であった。坂本氏は新作のコンセプトのひとつとして、「アンドレイ・タルコフスキー監督の未発表の映画に添える架空のサウンドトラック」を挙げたという。世代やジャンルを超えて融合した世界観が、この展示空間では生まれていた。
多種多様な音と映像の空間から
オリジナル・アルバム『async』を捉え直す
3階では、本アルバム『async』の制作が行われた、坂本氏のニューヨークスタジオとプライベートな空間が映像で紹介される。全24台のiPadやiPhoneにイメージが映し出され、それぞれの空間にある環境音と、アルバムに収められた楽曲の音素材がミックスされている。
この作品は、ニューヨークを拠点としたアーティストデュオZakkubalan(ザックバラン)によるもの。自然光が入りながら楽器に囲まれた小さなスタジオ、鉢植えが点在する庭など、一つ一つのシンプルな映像を見ていると断片が組み合わさり、本アルバムの制作過程を追体験できるかのようだ。
4階は、また趣の異なる映像作品が展開される。一つの大きなスクリーンに映し出されるのは、アジアの風景や群衆を捉えた、若干荒々しい映像。「first light:」と題された作品は、アピチャッポン・ウィーラセタクンというタイの映像作家によるものである。今回は坂本氏の2曲に合わせて新たに制作されたという。世界のどこかの地で体験したような、これも夢のような光景が、やはり坂本氏の音と融合して迫ってくる。
今回の展示は、何かを具体的に説明するというより、アート作品にぐっと寄ったものだ。「設置音楽」という言葉には、8年の間に坂本氏が積極的に行ったインスタレーションが関係している。アルバムは1つでありながら、3つのフロアに分かれて三者のコラボレーターによって展開される映像作品は、それぞれがまったく異なることに注目したい。
会場に「設置」されたインスタレーションは、アルバムの音を聴いたときの感じ方、受け取り方が人によって違うし、解釈もまた異なる。それだけ今回のアルバムには深みがあり、多様性があることを裏付けているのである。
特設サイトには発売後に、アルバムの内容を読み解く「解読」が続々と加えられている。これは、一般来場者が1階受付横の壁に、アルバムを聴いた感想や疑問を書いて貼り付けた付箋がアップされたもの。坂本氏が答えたいと思った疑問には、「返信」として本人のコメントがウエブで答えられている。本展覧会を見終わった後に、それぞれの解釈と自分の抱いた感覚を比べてみるのも面白い。
「これは音楽といえるのだろうか?」とまで疑問を抱くような本作には同時に、音楽の未来が含まれている。「音楽」が固定化しているようであれば、そのバランスを揺り動かすような力が、本作にはある。拡大解釈すれば、固定化しようとする社会情勢に同調することへの反発や揺さぶりを感じる。「async=非同期」という言葉の意味は、その時々でどのように捉えられるだろうか? 不思議な夢を体験しに、何度でも足を運びたくなる展覧会である。
(取材・文/加藤純、撮影/川野結李歌)
坂本龍一(さかもとりゅういち)
1952 年東京生まれ。
1978 年「YMO」を結成。解散後も海外に拠点を移し多方面で活動。「戦場のメリークリスマス」で英国アカデミー賞、「ラストエンペラー」の音楽ではアカデミーオリジナル音楽作曲賞、グラミー賞他を受賞。 常に革新的なサウンドを追求する姿勢は世界的評価を得ており、 またアート界への越境も積極的に行っている。「東北ユースオーケストラ」の音楽監督として東日本大震災の被災三県出身の子どもたちとの音楽活動など、社会的な問題への積極的関与も継続している。8 年ぶりのオリジナル・アルバム、CD『async』3月29日 発売。アナログ盤『async』5月17日 発売。
坂本龍一 | 設置音楽展
会期:2017年4月 4日(火)~ 5月28日(日)
会場:ワタリウム美術館
住所:東京都渋谷区神宮前3-7-6
電話:03-3402-3001
休館日:月曜日
開館時間:11時より19時まで(毎週水曜日は21時まで延長)
入館料:大人1000円/学生(25歳以下)500円/ペア割引:大人2人 1600円