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2018.10.29

ムンクの《叫び》(1910?)が来日!
あの強烈なイメージが生まれた深い訳

エドヴァルド・ムンク《叫び》1910年?

あなたはもうご存じだろうか。

ムンクの「叫び」の人物が、実は叫んでいないかも知れないということを。

 

その強烈な絵のイメージと「叫び」というタイトルがゆえに、もうその叫び声さえ想像してしまっている人もいるだろう。しかしここに描かれた人物は、彼をとりまく自然が叫んでいるように感じ、恐怖と不安におびえて両耳をふさいでいるのだと解釈されている。

 

舞台は、ムンクの故郷ノルウェーにあるエーケベルクという町の丘。夕暮れに道を歩いていた彼は気分が悪くなる。立ちすくみ、太陽が沈むオスロ・フィヨルドを眺め、まるで血のように赤くなった空を見て、自然をつらぬく叫びのようなものを感じたという。

 

内面の不安や孤独が背景の自然と共鳴したかのような表現は、100年以上前の当時、まだまだ主観的なテーマを絵画に描くことが主流でなかった美術界に衝撃を与えた。

 

画家は<生命のフリーズ>と名づけたシリーズに含まれるこの「叫び」のモチーフを、繰り返し描いた。東京都美術館で開催の展覧会「ムンク展—共鳴する魂の叫び」には、版画以外で世界に現存する「叫び」4点のうち、厚紙にテンペラ・油彩で描かれたバージョンが待望の初来日。大きな話題を呼んでいる。

 

 

エドヴァルド・ムンク 《自画像》1882年

 

 

エドヴァルド・ムンクが生まれたのは1863年のこと。聖職者や知識人なども輩出した、ノルウェーでは由緒ある家系に生まれたが、自らも病弱な上に、5歳で母、14歳の時に姉の死を目のあたりにして、それが彼の心に大きな影響を与えることになる。抑圧的で異常なほど宗教的だったという父親も、彼に暗い影を植えつけた。

 

 

エドヴァルド・ムンク《病める子 I》1896年

 

 

ムンクは父親の反対を押し切って芸術家の道に進み、画学校に入る。この頃ヨーロッパ美術の世界では、印象派が絵画のスタイルを大きく変え、さらにゴッホやゴーギャン、ルドンなど19世紀後半に活動した画家達は、目には見えない心の内面を描くことに新しい道を見いだし始めていた。1885年に初めてパリを訪れ、1889年からパリ留学、1892年からはベルリンに拠点を移したムンクは、こうした潮流や世紀末の思想と芸術に刺激を受けながら、自分の心の葛藤やトラウマに根ざす独自の表現を確立していく。

 

 

エドヴァルド・ムンク《絶望》1894年

 

 

ベルリンでは芸術家協会の招待を受けて、1892年11月に初めて国際デビューとなる個展を開催。《病める子》など初期代表作を含む55点が展示されたが、印象派もまだ浸透していない当時のベルリンに彼の表現はやや大胆すぎたらしい。観客の憤慨、嘲笑を招き、たった一週間で展覧会が閉幕に追い込まれるという「ムンク事件」と呼ばれるスキャンダルになった。しかし、これが変化を求めていたドイツ美術界を刺激し、やがてヨーロッパをも巻き込む「表現主義」という20世紀初頭を代表する潮流のきっかけとなっていく。

 

 

エドヴァルド・ムンク 《月明かり、浜辺の接吻》1914年

 

 

ムンクは、「叫び」とならぶ<生命のフリーズ>の連作のモチーフとして「接吻」「吸血鬼」「マドンナ」、そして愛や死をテーマに数多くの作品を残した。

 

繊細な感受性をもった彼は、自由恋愛が叫ばれる中さまざまな女性と出会った。初恋の相手となった人妻のミリー・タウロヴ、あるいはベルリン時代の友人たちの間のミューズで、夫がありながら多くの男性と関係をもったダグニー・ユール・・・。なぜか彼は、男を誘惑し、翻弄するような女性に惹かれ、嫉妬と不安にかられ、自分を苦しめてしまう一面を持っていた。

 

その究極が、トゥラ・ラーセン。1892年に出会った裕福で進歩的なこの女性とは、愛憎半ばしながらもやがて交際する関係になり、ともに各地を放浪する。彼女の愛は支配的で、やや狂信的にムンクを愛するあまり、1902年には彼に結婚を迫って銃を持ち出し、それが暴発してムンクが左中指を失うという事件が起きてしまった。ヨーロッパ各地で個展を成功させるようになった彼だったが、この事件以降、アルコール依存症や神経衰弱に悩まされるようになる。作品《生命のダンス》にはこうした経験に基づく彼の女性観が表れているといわれる。

 

 

エドヴァルド・ムンク《生命のダンス》1925年

 

 

約8ヶ月にわたる神経衰弱の療養を余儀なくされたムンクだったが、祖国ノルウェーから勲章が授与され、国立美術館の後押しにより回顧展が開催されるなど評価が高まり、国民的画家としての地位を獲得していった。1909年には長い放浪生活を終えてノルウェーに戻り、1916年にエーケリーという田舎に家を購入。隠遁生活を送りつつ、旺盛な制作を続けた。

 

 

エドヴァルド・ムンク 《星月夜》 1922-24年

 

 

エドヴァルド・ムンク《二人、孤独な人たち》1933-35年

 

 

そんななか戦争の影が迫る。ドイツで数々の作品を残していたムンクだったが、ナチス・ドイツの台頭で彼をはじめ表現主義の作品は「頽廃芸術」として押収の憂き目に。そして1940年にはノルウェーがナチスに占領されてしまう。戦争を避けるように、自邸からの風景を絵に描いたり、《二人、孤独な人たち》のような初期作品の再制作もつづけていたムンク。戦後の平和を見ることなく、1944年1月に80歳でその生涯を終えた。

 

 

エドヴァルド・ムンク《自画像、時計とベッドの間》1940-43年

 

 

晩年の作品《自画像、時計とベッドの間》は、内面の不安を描き続けてきたムンクが最後に辿りついた境地が感じられる。明るい部屋にたたずむ落ち着いた顔立ち。「叫び」を描いた画家は、心の平穏を手にしたのだろうか。

 

展覧会「ムンク展—共鳴する魂の叫び」には、オスロ市立ムンク美術館が誇る世界最大のコレクションを中心に、約60点の油彩画に版画などを加えた約100点、100%ムンクばかりを集めた貴重な作品群が集結する。我々の心にある「叫び」のイメージに満足せず、彼が生涯にわたり描き続けた作品とともに、実際の「叫び」を前にその本質を見てみたい。

 

 

 

ムンク展—共鳴する魂の叫び

会期:2018年10月27日(土)〜2019年1月20日(日)
会場:東京都美術館 企画展示室(東京都台東区上野公園8-36)
休室日:月曜日(ただし、11月26日、12月10・24日、1月14日は開室)、12月25日(火)、1月15日(火)〔年末年始休館〕12月31日(月)、1月1日(火・祝)
開室時間:午前9時30分〜午後5時30分
※金曜日、11月1日(木)、11月3日(土・祝)は午後8時まで
(入室は閉室時刻の30分前まで)
観覧料:一般1600円(1400円)、大学生・専門学校生1300円(1100円)、高校生800円(600円)、65歳以上1000円(800円)( )内は前売・団体料金 ※団体割引の対象は20名以上 ※12月は高校生無料。※11月21日(水)、12月19日(水)、1月16日(水)はシルバーデーにより65歳以上の方は無料。
公式サイト:https://munch2018.jp

問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)

 

作品はすべてオスロ市立ムンク美術館所蔵All Photographs ©Munchmuseet

 

 

(文・杉浦岳史)

 

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