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2015.02.16

建築界巨匠の創作の原点を知る
「丹下健三が見た丹下健三」

(C)Nacása & Partners Inc

言わずと知れた日本の建築界の巨匠、丹下健三氏。没後10年という節目の年に、活動初期の10年間に焦点を当て、丹下氏が自ら撮影した写真を通して建築家像をあぶり出すという異色の展覧会が開催中だ。プロジェクト開始から初期の1949~1959年までの、丹下ワールドの創作の原点を知る意味で貴重な展覧会である。

 

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「カメラを手に竣工当時の香川県庁舎と対峙する丹下」
1958年頃撮影 撮影者不明

当時、丹下は「石が中世の感動をよびさましたように、コンクリートは現代の感動を人びとに伝えてくれるにちがいない」と考えていた。

 

 

未公開フィルムだった70余点のコンタクトシートに

丹下健三氏の「眼」と「思考」を見る

 

「国立屋内総合競技場(代々木体育館)」「東京カテドラル聖マリア大聖堂」(ともに1964年)など数々の名作で知られる、建築家の丹下健三氏。

 

惜しくも10年前に亡くなったが、今もなお建築物を通して人々に感動を、そして建築を志す者や実務者に勇気を与え続けている。

 

TOTOギャラリー・間で行われている今回の展覧会は建築家を紹介するものではあるが、建築図面もなければ模型もない、異色のものである。

 

下階(3F)の会場に入って目にするのは、真っ黒な壁面パネルに囲われた、真っ黒な展示台が並ぶ光景。壁面パネルには年表があしらわれ、丹下氏の作品や活動の経緯、国内外の動向がまとめられている。

 

注目すべきは、展示台のほう。ここには上面に、35mmフィルムの写真のコンタクトシートが綺麗に納められている。

 

コンタクトシートというのは、写真フィルムを印画紙に密着させて原寸プリントしたもの。デジタル世代には、サムネイル画像の一覧表示と対応するものといえば分かるだろうか。

 

「東京都庁舎(東京都千代田区、1957年)」 1957年撮影 ©丹下健三 水平垂直とあおりを基本とする建築写真の作法に反し、カメラを斜めにかまえて撮影。

「東京都庁舎(東京都千代田区、1957年)」 1957年撮影 (C)丹下健三
水平垂直とあおりを基本とする建築写真の作法に反し、カメラを斜めにかまえて撮影。

 

展示台には貴重な35mmフィルムのコンタクトシートが綺麗に並べられている。 (C) Nacása & Partners Inc

展示台には貴重な35mmフィルムのコンタクトシートが綺麗に並べられている。
(C) Nacása & Partners Inc

「丹下健三氏が自身の作品を自ら撮影したコンタクトシート」 (写真は「広島平和会館原爆記念陳列館」の施工現場風景)

「丹下健三氏が自身の作品を自ら撮影したコンタクトシート」(写真は「広島平和会館原爆記念陳列館」の施工現場風景)

 

 

処女作である「広島平和会館原爆記念陳列館」(1952年)や「自邸」(1953年)、「東京都庁舎」(1957年)、「香川県庁舎」(1958年)などを丹下氏自ら撮影した写真が、一覧で展示されている。暗く照明を落とした室内で、そばに備え付けられたルーペも使いながら見ていく。

 

数ある写真のうち、いくつかの写真に赤い丸が付けられていたり、四角で囲われたりしていることに気づくだろう。これは、「この写真がいい」「この写真は、この範囲を見せたい」という丹下氏が直接書き込んだ形跡である。

 

特に、トリミングと呼ばれる四角の指定は興味深い。写真の構図にも丹下氏の建築物への見方が現れるが、重要な部分を強調するために写真から不必要な部分を切り取るトリミングという作業は、それを行う者の意図が色濃く現れるからだ。

 

展示の一角に据えられている映像コーナーでは、トリミング前後の写真を並列してスライドで見せている。見え方の違いが対比的にわかり、丹下氏がどのように建築物と対峙したのか、そして「自分の作品をどう見せたいのか、どう見られたいのか」が鮮明に浮かび上がってくる。

 

「広島平和会館原爆記念陳列館(広島県広島市、1952年)」1952年撮影  (C)丹下健三 墓地の中から立ち上がる広島平和記念公園陳列館。この敷地はもともと墓地であった。墓石自身原爆に照射され焼けている。その墓を守る人もいなくなり、多くは無縁仏になった。

「広島平和会館原爆記念陳列館(広島県広島市、1952年)」1952年撮影  (C)丹下健三
墓地の中から立ち上がる広島平和記念公園陳列館。この敷地はもともと墓地であった。墓石自身原爆に照射され焼けている。その墓を守る人もいなくなり、多くは無縁仏になった。

「住居(自邸)(東京都世田谷区、1953年)」 1956年撮影 (C)丹下健三 丹下がヘリコプターにて上空より自邸を空撮した写真。

「住居(自邸)(東京都世田谷区、1953年)」
1956年撮影 (C)丹下健三

丹下がヘリコプターにて上空より自邸を空撮した写真。

 

 

 

「愛媛県民館(愛媛県松山市、1953年)」 1954年撮影 (C)丹下健三 敷地背後の松山城の城山より俯瞰した写真。

「愛媛県民館(愛媛県松山市、1953年)」
1954年撮影 (C)丹下健三

敷地背後の松山城の城山より俯瞰した写真。

「広島平和会館原爆記念陳列館(広島県広島市、1952年)」 1955年撮影 (C)丹下健三 1955年8月6日の原爆慰霊祭に集まった群衆を捉えた写真。

「広島平和会館原爆記念陳列館(広島県広島市、1952年)」 1955年撮影 (C)丹下健三
1955年8月6日の原爆慰霊祭に集まった群衆を捉えた写真。

 

展示会場に入って目にするのは、真っ黒な壁面パネルに囲われた、真っ黒な展示台が並ぶ光景。壁面パネルには年表があしらわれ、丹下氏の作品や活動の経緯、国内外の動向がまとめられている。(C) Nacása & Partners Inc

展示会場に入って目にするのは、真っ黒な壁面パネルに囲われた、真っ黒な展示台が並ぶ光景。壁面パネルには年表があしらわれ、丹下氏の作品や活動の経緯、国内外の動向がまとめられている。(C) Nacása & Partners Inc

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