デザインインフォメーション

2012.09.20

日本のデザインシーンに多大なる貢献
企画展「田中一光とデザインの前後左右」

1960年代から21世紀まで日本のグラフィックデザインを支え、発展させた田中一光。没後10年を迎えた今年、氏の名著『デザインの前後左右』をもとに、いかにして発想が広がり、いかにして表現が着地していくのか。昭和期を代表するグラフィックデザイナー、田中一光をさまざまな角度から取り上げる企画展が、六本木・東京ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTで開催されている。

 

 

 

 

田中一光が創出した「デザインシーン」の軌跡をたどりながら

21世紀のクリエイションの可能性を探る

 

図案や文様、絵画や器など、日本にも古くから「デザイン」はあった。しかし、「デザイン」ということばが広まり、商業美術が体系的にとらえられるようになったのは、1950年代に入ってからのことである。

 

田中一光は、1960年代からの日本のデザインの発展に大きな影響を与えた人物のひとりだ。広告のほか、グラフィックデザイン、出版・編集デザイン、ギャラリー空間やイベントでの発表、プロダクトへの企画提案など、日本のデザインシーンに与えた影響は計り知れない。

 

また、自身の作品を創出するだけでなく後進の指導も積極的に行ってきた。1950年代から60年代にかけては、桑沢デザイン研究所でグラフィックデザインの講師を務めたほか、日本デザインセンターの創立にも携わり、長友啓典、横尾忠則ら、昭和期の日本の商業デザインを担ってきたグラフィックデザイナーを多数世に送り出している。

 

琳派、浮世絵、伝統芸能など、桃山時代から江戸期にかけての庶民の文化に精通していた田中一光の作風は、自らのクリエイションの主題に日本古来の庶民文化の視覚表現を活写したことでも功績は大きい。

 

日本の伝統と現代性を融合させたデザインテイストは、あっというまに同時代のデザイナーや企業人、社会に広がった。若い世代には「無印良品」のアートディレクションを行った人物、と言えばわかりやすいだろうか。

 

今回の企画展「田中一光とデザインの前後左右」では、田中一光が残した膨大な数の作品や資料をていねいに検証。田中一光を日本独自の視覚表現を推進した人物と位置づけ、仕事の主軸であったグラフィックデザイン作品を中心にして、独自のクリエイションの世界を紐解いていく。

 

会場には、田中一光による立体作品、装幀や構成を手がけた書籍や著書、自宅で資料として参照していた国内外のデザイン&アートに関する蔵書を展示。また、完成品の縮刷とあわせて原画や校正紙を並べることで、デザインの思想や発想がどのように広がり、どのように着地点を見出していったのかを体感できるようにしている。

 

展覧会のディレクターには小池一子氏(クリエイティブディレクター)、会場構成とグラフィックデザインは廣村正彰氏(アートディレクター)が手がけている。こうした田中一光と関わりの深い著名クリエイターたちが参加しているのも特筆に値する。

 

戦後から高度成長期を経て、バブル崩壊まで、激動の時代を生き抜いた田中一光。その創作の軌跡をたどりながら、デザインの未来そしてクリエイションの可能性を探ってみてほしい。

 

 

 

「田中一光グラフィックアート植物園」 ポスター 。 ギンザ・グラフィック・ギャラリー、1990 年

グラフィックアートの素材、切り紙。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「色彩流水−A」「色彩流水−B」 木製パネル 。

大日本印刷営業ビルロビー、1987年  撮影:吉村昌也

 

 

 

 

 

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