The Food Crafter
江戸前“きす”を守る
プロフェッショナルに会いに
豊洲市場にはまぐろのプロ、うにのプロ、海老のプロなど、あらゆる魚に専門的な知識を持つプロフェッショナルが存在する。その中でも数少ない“きす”の専門家は、日本が誇る鮨や天ぷらを下から支える日本料理に欠かせないプロフェッショナルだ。
プロフェッショナルが教える
“きす”という魚
マグロや車海老が主役級なら、きすには名バイプレーヤーの趣がある。もちろん江戸前の天ぷらや鮨にとっては欠かせない魚に間違いない。今回はそんなきすに注目してみた。
ある日、それは美味しいきすの天ぷらに出会った。きすといえば繊細で品のいい白身魚というイメージだが、そのきすは身がふっくらとして食べ応えがあり、滋味豊かな魚の旨味がみなぎっていた。驚いていると、その店の主人がきすのプロフェッショナルがいるという話を教えてくれた。
そのプロフェッショナルが豊洲市場にある仲卸・海老の浦井で代表を務める浦井義之さんだ。
海老の浦井は浦井さんのお父さんが始めた仲卸で、親戚の仲卸が高齢で店を閉めるにあたってそちらのお客さんを引き継いだ。その時からきす、穴子を本格的に始め、今では江戸前の素材が中心となっている。
実は浦井さん、最初は家業の仲卸を嫌って違う仕事に就きたかったという。だが実際に就職活動を始めて見ると、なかなかこれという仕事に巡り合わなかった。悩んだ挙句、大手の 卸売り業者(漁港から仕入れて仲買人に売る職種)に勤め、競り人なども経験した。ところがしばらく働くうちに「自分が扱いたいのはこういう魚 じゃない」という思いが膨らんで、海老の浦井にもどることに。それが13年前のことだ。
「きすはきれいな金色をしているでしょう。海の貴婦人 と言われているんですよ」。
そういって冷たい氷水に手を入れて見せてくれたきすは、ピンと背筋を伸ばしたスタイル良しで、キュッとしまった顔立ち。いかにも新鮮そうだ。
「江戸前のきすです。江戸前と言っても港はいくつもありますが、
これは本牧で揚がったものですね。もうひとつ、三重県産のものがありますが、
並べてみると、江戸前のきすがいいというのがよくわかるでしょう。
このふたつはキロ単価で二千円~三千円も違うんですよ」
そう言って今度は別の箱からきすを取り出した。体調はほぼ同じくらいだが、ややスリムな体形をしている。くるりと魚を返して背中からみてみるとかなり身の厚みが違う。江戸前の方がむっちりと身が詰まっている。
「獲れた場所だけでなく、どうやって届くかも重要です。
江戸前の方は『水氷(みずごおり)』といって氷水に入っています。
三重県産のものは『下氷(したごおり)』というんですが、氷が下に引いてある」
輸送の方法は産地によっても違うそうで、面白いことに水に浸かっている『水氷』よりも、『下氷』にしたきすの方がなぜか水っぽくなるという。『下氷』にしたきすは天ぷらで油に入れると泡立ちが凄い。一方、『水氷』で届く江戸前のきすは泡立ちが大人しい。当然、味も水分が少ない方がしまっている。
「きすは春から夏に多く出回るので夏の魚のように誤解されていますが、
本当に美味しいのは11月から2月の冬です。
冬のきすを寒(かん)ぎすと も呼びますが、
包丁を入れると脂で滑るくらいに脂がのっているんですよ」。
きすの産卵期は4月から8月で、この時期に浅瀬 に近寄ってくるために多く水揚げされる。だが卵を抱えたきすは身に旨みが少ない。鮨屋でもこの時期にきすを扱うのは定番だが、最近は冬のいい時期のきすしか使わない、魚の品質にこだわる鮨職人が増えてきたという。
「最初はね、それほど魚に思い入れがあったわけじゃないんですよ」
ちょっと苦笑いしながら浦井さんが呟く。
「同じ歳の天ぷら店のご主人がいて、いろいろ教えてもらっているうちに、
とある有名な鮨店に食べに行ってごらんと言われたんです。
そこで食べて頭をひっぱたかれたくらいの衝撃を受けた」(笑)
その体験で一気に魚に対する考え方が変わったという。こういう料理人に魚を買ってもらうにはどうすればいいのか? 自分なりに考えて出した答えは、とにかくいいものを揃えること。この時にきっぱりと進むべき道が見えた。
いまや海老の浦井といえば、都内有数の天ぷらや鮨の主人が通う仲卸だ。ミシュランで星を持つ店も少なくない。そんな有名料理人の姿を見かけて、同じものを売ってくださいと飛び込んでくる料理人もいるほどだ。
「大切な人に食べさせたい」
それがこの仕事の原点となった
江戸前のきすでも一番といわれるのは千葉県富津市竹岡のもの。恵まれた海が育んだきすは良質だが、それだけが理由ではない。きす漁は刺し網(さしあみ)漁と言われる独特なもので、小さな船で行われる。どういうものかといえば、魚の群れが通過する場所に網を沈めて、魚が網にかかったところを獲る。
「同じ刺し網でもやり方がいろいろあって、
例えば竹岡では網を手繰りながらきすを外して氷水に入れます。
他の産地では、網をすべて引き上げてから
きすを外すところがありますが、このちょっとした違いで
気温の高い夏場には品質に圧倒的な差が出てしまうんです」
さらに漁師によっては、目の粗い網の先にきすが通れない目の小さい網を設置し、網の中を泳げるようにするという。この漁法で獲ったきすは傷がつきにくく品質がさらにいい。そう、実は誰が獲ったかということも重要なのだ。
竹岡には、浦井さんのパートナーとしてお互いに信頼が厚い叶水産の藤平裕幹さんがいる。まず藤平さんがいいと見込んだ漁師の魚を浜で競り落とし、それを選別して浦井さんに送ってくれる。さらにその中から浦井さんがお客さんに合わせてきすを選別する。つまり、藤平さんと浦井さんという二人のプロの2重のフィルターを通して、安心できる良い品質のきすが料理人の手に届くのだ。
「江戸前のきすは火を入れた時に“ケタを増す”というか、
厚みが出るんです。だからひと口目の存在感がものすごくある。
淡白な魚と思っているかもしれませんが、
上手に扱ってやれば実はとても美味しい魚なんですよ」。
これほどに魅力的なきすだが、残念なことに未来は明るくない。きすは年々水揚げが減っていて、漁師の高齢化が進んでいる。独特な漁法を用いる上に獲れる量が減っているから後継者も育たない。5年後、本当に天ぷら屋からきすが消えてしまうかもしれないと浦井さんは心配そうに語る。
だから、ただいいものを売るだけではなく漁師のモチベーションを上げる努力も必要だという。そのために、ミシュランの星を持つ料理人を漁港まで連れて行き、竹岡のきすで料理を作って漁師に食べてもらったこともあった。
「これからは若い力も必要になってきます。
そういうことを自分たちが諦めたら終わりなんです」
常に戦いですと付け加えた。魚を目利きして料理人へ届ける仲買という仕事だが、
きすを獲る漁師から料理人まで、浦井さんを通して「いいものを美味しく」という一本のラインで繋がっている。そしてそのラインを切ることなく守ることもまた、自分たちの使命と浦井さんは考えているのだ。
海老の浦井
東京都江東区豊洲6-5-1 6街区水産仲卸売場棟ハ132-136
(取材・文・岡本ジュン 撮影・西﨑進也(人物))