The Food Crafter
居心地のいい店造りが
日本酒の世界を広げてくれる
日本酒専門店でありながらちょっと異色の雰囲気をかもしだす、その名もストレートな「にほん酒や」。店主の高谷さんは、音楽好きで釣り好き。難しいことはなしで、とっつきにくい日本酒を誰にでも楽しませてくれる。
Vol.2 高谷謙一@にほん酒や
マニアックなのに
多くの人に愛される店
高谷謙一さんは吉祥寺で「にほん酒や」という店をやって9年目。いつもほんわかとした空気感を醸し出している。燗酒押しの日本酒専門店だから、こちらがお燗のイメージにとらわれているだけかもしれないけれど。
「今年は何か面白いイベントをやろうかと考えているんですけどね、なぜか忙しくって」と苦笑いする。
ここ数年で増えてきた日本酒イベントにも数多くかかわっているので、“日本酒の人”として広く認知されていて、日本酒がらみの取材も多い。最近は新しい食事とお酒を提案する場として「いつもの朝、あたらしい朝ごはん」というイベントもやっている。趣味は釣りで、休みにはよく出かける。その上に店をやっているのだから、確かにこれはかなり忙しいに違いない。
にほん酒やは、日本酒専門店としては非常にニッチな路線を貫いてきた。基本はお燗酒押しで、しかも生酒が多い。銘柄はかなり絞り込んでいる。十旭日(じゅうじあさひ)、梅津、鯉川など、思わず渋い(失礼!)と叫んでしまうほどである。
クルクルと銘柄が変わる店は多いが、じっくりと同じ蔵と付き合うことから見えてくる世界というものもあるのだ。日本酒専門店でニッチとくれば、なんとなくマニアが集まる店を想像するが、ここはそれとは真逆なところが面白い。誰にでもオープンで、居心地がいいのだ。
日本酒に合わせる料理の幅広さも印象的だ。自家製クッキーを添えたレバーのブリュレがあったり、ジビエがあったり、美しい刺身に、出汁がじんわりと染みる汁もの。そんなことを話すと、最近はもっとシンプルな方向に代わってきているんですよ、と高谷さんは言い添えた。そういえば、日本酒とビストロ料理という店もこのところ増えている。にほん酒やはもう一歩先に進んだということか。
「その代わりというか、今は素材にこだわっていこうと思っているんです。」と高谷さん。
魚は天然のものだけ。基本的な野菜は、在来種や自然農法のものでまかなっているが、農家から届く野菜は、箱を開くまで何が入っているかわからない。種類が偏っているときもあれば、苦みが強くて使いにくい野菜が入っていることも少なくない。でも、高谷さんはそれを使いこなすのが何やら楽しそうだ。
「例えばトマトがすごい来ちゃったら、半分は半年後に食べられるように加工して、1/4は1か月後、1/4は今日、明日のメニューにと、ただ割り振ってあげればいいので、それほど不自由でもないかなと思っています。最初はびっくりしたけど、慣れたらぜんぜん大変じゃないんですよ」とケロリと言い放つ。
そこまで大変な思いをして、その野菜だけを使う理由ってなんでしょう?
「届く野菜でなんとかすれば買いに行かなくていいじゃないですか、僕は不精なんですよ」。
ニコニコとけむに巻かれてしまったが、そこには自然体でありながら新しい飲食との向き合い方があるような気がしてくる。食べ残しや破棄食糧を問題視するフードロスという言葉が注目される今、高谷さんのスタンスは聞いていてとても気持ちがいいのだ。
「料理を作る時に素材がひとつ欠けていたとしても、無理に買いに走るということはないですね。それがあれば100点だけど、なくても90点の美味しさだったらいんじゃないのと思っているので」。
清々しくらい潔い。こうしたスタイルが、にほん酒やの味、その日のメニューのライブ感を作り出しているのかもしれない。
チームの中で人とかぶらない
ポジションを探しただけ
昔から日本酒が好きだったんですか?
「それがぜんぜんそうじゃなかったんです。若い頃は全く興味がなかったですね」。
システムエンジニアだった高谷さんは、自分で仕事をやりたいと考えて飲食の道へ進んだという。修業先の居酒屋にも日本酒はあったが、その当時もまったく美味しいと思ったことはなかった。
日本酒との出会いは独立する1年ほど前。その時飲んだ日本酒を初めて美味しいと思った。そこから日本酒を飲み始めて、いつの間にか好きになっていた。
「店をやると決めた時に、今ほど日本酒の店がなかったので専門店にしたら面白いかなと思ったんです。周りにはありえないと反対されましたけど」(笑)
日本酒業界全体を野球のチームだと思っているという高谷さん。強いチームにするためには、すべてのポジションが揃わなければならないから、人のいないポジションを選ぶのだ。そうすれば業界全体が盛りあっていけるという信念を持っている。
吉祥寺で店を出すと決めた時もこの考え方で、他の人とかぶらないポジショニングを探したら、今のようなニッチな店になったという。
「人と違うことをするのだから、その方法までコアにしてしまうと結局誰にも届かないでしょう。だから間口は広くしようと考えていましたよ」
当時の店はガラス張りでポップな雰囲気に造った。いわゆる地酒居酒屋とはすべてが真逆のスタイルを意識して、一時は日本酒バル特集などでマスコミに取り上げてもらうことも多かったという。そうこうするうちに、日本酒バル的な店が増えてきたため、これはもう他の人がやってくれるのだから、自分は違うところに行った方がいいという思いが強くなっていった。そこで、またしても、新しいポジションを探しにでかけたのだ。
店に流れるいい空気感が
日本酒を楽しくする
日本人なら誰もが知っている日本酒。それだけに、専門店であったり、愛好家であったりするほどに“こうでなくてはならない”という呪縛にとらわれやすいのもまた事実。そんな中にあって、肩の力を抜いて間口を大きく開いているにほん酒やは、やっぱり異色の存在だ。
例えばイベント。昼酒と言うのはよく聞くが、朝から日本酒を飲む会をやっていたことがある。その発想が面白い。3周年の時は24時間営業をやってみた。最近では、「いつもの朝、あたらしい朝ごはん」というイベントを定期的に行っている。これは、東小金井にある「あたらしい日常料理 ふじわら」で、料理研究家などと一緒に朝ごはんブッフェや飲み物を提供するのだ。いわば朝飲みの発展バージョンともいえる。
24時間営業というイベントをどうやって思いついたのか聞いてみると、
「他の業界ではけっこうやっていますよね。僕はそれを見て、いいなと思っただけです。日本酒で、というと珍しいのかもしれませんが」と高谷さん。
言われてみれば、“日本酒で”だから、変わっているなあと思ってしまうのかもしれない。
現在は、オープン当初と変わって店の内装はかなり落ち着いている。その店にお客さんが入ると、なんともいえない、いい空気感が流れるのだ。最初は場所のお洒落な雰囲気にあるのかもしれないと思った、次は吉祥寺という街のせいかもしれないと思った。でもやっぱり、なにかある。いつもいい空気感が流れているのは不思議でたまらない。
聞いてみると、予約のある人や今日は来そうだなという常連がいれば、メニューにその人を喜ばせるものを仕込んでおくのだそうだ。それはあくまでもさりげなくで、見つけた相手は「お、これがあるぞ」と気分よく過ごしてくれるという。
「そういうお客さんが何人かいると、もう店の空気感がすごく良くなるんですよ」。
ハッピーな気分は不思議と伝染して、店の中に広がっていくというのだ。かくしていい空気感が流れる店ができあがる。店の雰囲気は客が作ると思っていたけれど、仕込んでいたとは恐るべし。
最後に、今の目指すところを聞いてみると「脱・日本酒です」と答えてくれた。
日本酒専門店なのに? と思っていると説明してくれた。
「日本酒のお店って、日本酒をとったらほかに売りが残らないお店が多いんですよ。うちとしては、美味しい日本酒をきちんとサービスすることは大前提ですが、そのうえで料理が美味しいとか、接客もいいとか、そういうところを目指したいんです。きちんといい店でありながら、そのうえで日本酒のお店でありたいんです」
人を呼ぶ手段が日本酒だけではないということは、日本酒と馴染のないお客さんも来てくれるということだ。そこから日本酒の世界を広げていける。
日本酒を好きになってもらうための脱・日本酒。そんなことをさらりと考えてしまう高谷さんはやっぱりちょっと面白い。
にほん酒や
にほんしゅや
住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町2-7-13 レディーバードビル1F
電話:0422-20-1722
営業時間:17:00~24:00 土曜・日曜・祝日13:00~24:00
定休日:木曜
予算:5000円~
https://www.facebook.com/nihonsyuya/
※イベント「いつもの朝 あたらしい朝ごはん」はあたらしい日常料理 ふじわらで9月3日開催
(取材&文・岡本ジュン 撮影・くまぞう)
PROFILE 岡本ジュン
“おいしい料理とお酒には逆らわない”がモットーの食いしん坊ライター&編集者。出版社勤務を経てフリーに。「食べること」をテーマに、レストラン、レシピ、旅行などのジャンルで15年以上に渡って執筆。長年の修業(?)が役に立ち、胃袋と肝臓には自信あり。http://www.7q7.jp/
※掲載価格は税別価格です(2017年8月現在)