パリとアート

2018.05.18

パリから日帰りのアート旅。
咲き誇る花に驚き、いやされる
クロード・モネの庭。

今回はパリから少し離れて、美術の歴史に残る絵画が生まれた場所をご案内しよう。電車とバスを乗り継いで1時間ほど。あたりの風景は一変し、セーヌ川は自然に包まれ、美しい草原や森が広がり、牛や馬たちが気持ちよさそうに草をはむ。数限りないトーンの緑、花、そして移ろいやすいノルマンディー地方の天気は瞬く間に光の調子を変えていく・・・。その土地の名は「ジヴェルニー」。フランスの中でも豊かな四季に恵まれた風景が、ある偉大な画家を歴史に生みだした。「印象派」を代表する画家のひとり、クロード・モネだ。

 

「印象派」という呼び方は、悪口から始まったということをご存じだろうか。人物にしても風景にしても、写実的だったり、歴史や神話に由来するテーマでないと評価されなかった時代。それに対抗して、自然の一瞬一瞬の光の移り変わりや、パリの街や生活のきらめき、バレエダンサーの躍動感を、独特のタッチと光の効果で描きとめる斬新なスタイルを始めたのがモネやルノワール、ドガ、シスレーなどの画家たちだった。彼らが自主的に開いた展覧会でモネは「印象、日の出」というのちに有名になる作品を展示したが、見慣れない画風に最初は失笑の的にさえなり、ある評論家が記事で「印象、たしかに。そうだと思ったよ。私も印象を受けたし・・」と皮肉ったことで「印象派」の名前が生まれたと言われるほどだ。

 

しかしそれまでの絵画にない新鮮さを感じた人々が称賛。やがて「印象派」はパリを席巻し、米国など世界の人々に注目され、後世のアーティストたちにも大きな影響を与える美術の潮流になっていく。その立役者の一人がモネだった。彼は、自然は一瞬として同じでないことに気づき、その光と色の美しさと変化を一生かけて追いかけた。そのモネが理想の風景を求め、何度かの引っ越しのあとに辿りついたのがここジヴェルニー。セーヌ川の支流にあたるエプト川の清らかな流れと咲きほこる花たちに魅せられたモネは1883年、43歳のときこの村に家族と共に引っ越してきた。当時の家と、彼が自ら手をかけ時間をかけて造り上げた庭は今に受け継がれ、春から秋までの季節だけ公開され、世界中からファンが訪れる。

 

 

画家であると同時に自他ともに認める園芸家でもあったモネは、制作活動の時間以外はほとんどを庭に費やし、庭師まで雇い、絵画制作の旅行に出かけても手紙で庭の様子を尋ねてくるほどに手入れに気を使っていた。そして庭を広げ、当時は鉄道が走っていた線路をはさんだ南側に土地を手に入れると、そこにエプト川から水を引く権利まで得て池をつくり、まったく表情の違う庭をつくった。こうして「花の庭」「水の庭」というふたつの風景が生まれる。

 

【水の庭】睡蓮の池と奥に見えるのは日本の橋。夏から秋にかけて睡蓮の花が咲く。

 

「水の庭」に大きく広がるのが有名な睡蓮の池。今年まだ睡蓮の季節は始まっていないが、まわりにはツツジやゴウダソウ、パンジーが咲き、モネが浮世絵を通じて憧れた日本の風景にあわせて造らせた「日本の橋」があり、紫や白の藤が咲き、しだれ柳が風にそよぐ。晩年のモネは特にこの水の庭を飽きることなく描きつづけ、『睡蓮』の連作シリーズになる。

 

【花の庭】約12000㎡の面積の庭に花の楽園が広がる。

 

 

 

当時も110種類以上の花が咲いていたというが、実はモネが亡くなったあと、義娘のブランシュや次男のミシェルが受け継いでいく間に庭はだいぶ荒廃してしまう。美術アカデミーに遺贈されたあと、1977年になって学芸員のジェラルド=ヴァン・デル・ケンプ夫妻が復元に着手。モネが好きで撮っていた写真や資料の数々をもとに甦らせた。今ではおよそ10人のガーデナーが毎日のように手を入れ、季節ごとにいつ訪れても美しい庭が見られる。

 

 

家の中も当時の雰囲気をよく伝えている。自身の作品は客を迎えるサロンに、2階におかれた自分や家族の寝室にはルノワールやカイユボット、シニャックなど友人の画家たち。そして彼が若くして出かけたオランダ旅行のときに衝撃の出会いをしてから収集を続けてきたという北斎、歌麿、広重など200枚を超える浮世絵のコレクションが所狭しと飾られている。彼が持っていた絵画はパリのマルモッタン=モネ美術館や世界の美術館に移され、今ここに飾られているのは複製だが、浮世絵はモネ自身が収集したもので専門美術館さながらの充実ぶりに日本人の我々も驚いてしまう。絵や浮世絵に目を奪われて忘れられがちだが、ダイニングの焼き物や地元ルーアンの青いタイルを使った厨房など、フランスらしい調度品が飾られたインテリアに当時のモネ一家の生活を想像してみるのも楽しい。

 

モネの寝室、彼はここで86年の生涯を閉じた。

 

家の中の至るところにおかれた浮世絵は保管されているものも合わせると240点ほど。

 

家族での食事の時間を大切にしたというモネ。ダイニングには日本風の陶器や浮世絵。

 

最後のミュージアムショップは、書籍やお土産だけでなくその空間を見ておくのをお忘れなく。ここはモネがその最晩年に制作した巨大な『睡蓮』の連作が描かれたアトリエ。国に寄贈するために、見えなくなる目や体力・気力の衰えと闘いながら8年をかけて制作。しかし出来映えに納得がいかず最後まで手を入れ続けて、結局彼が1926年にこの地で亡くなるまで作品はアトリエを出ることはなかったという。没後まもなく運び出された作品はこれを展示するためにすでに美術館に改装されていたパリのオランジュリーで翌27年から公開され、今に至っている。

 

モネが「睡蓮」を制作したアトリエ跡

 

庭を出たら、モネとその一家が愛したジヴェルニーの村を少し歩こう。カフェやアーティストショップやレストランはできたが、まわりの風景はおそらく当時とそれほど変わらない、まるでモネの絵の風景を詰め込んだ箱庭のような景色と澄んだ空気がある。7月15日まではすぐ近くのジヴェルニー印象派美術館で、日本文化が欧米のアートシーンに与えた影響をたどる展覧会「ジャポニスム/印象派」も開催中。パリに来て一日空くならこの「印象派」の故郷をぜひ訪れてみたい。

 

 

 

[ Fondation Claude Monet クロード・モネ財団 ]

(モネの家と庭)

 

84 rue Claude Monet, 27620 Giverny

2018年3月23日〜11月1日まで毎日オープン

9:30〜18:00 (最終入場は17:30)

 

パリ・サン・ラザール駅から国鉄でルーアン、ル・アーブル方面行きに乗車、

ヴェルノン(Vernon)駅下車 Giverny 行きバス利用

 

http://fondation-monet.com

 

 

杉浦岳史/ライター、アートオーガナイザー

コピーライターとして広告業界に携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年より Art Bridge Paris – Tokyo を主宰。現在は広告、アートの分野におけるライター、キュレーター、コーディネーター、日仏通訳として幅広く活動。

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