パリとアート
パリ・モンマルトルでベルエポックの
画家の暮らしへタイムトリップ。

パリの「モンマルトル」は、世界的にもよく知られた地区だ。中心部から北のほうにあって「Mont(山)」という綴りから始まることでもわかる通り、ひときわ小高い丘になっている。
セーヌ川あたりと比べると、標高で100m近くも高いその丘の頂きにはサクレ・クール寺院という、キリスト教の教会がある。どちらかというとイスラム教のモスクかインドのタージ・マハルか、というようなフォルムだが、その裾野のもりあがっているエリアが、モンマルトル地区だといえばほぼ合っているだろう。

サクレ・クール寺院はモンマルトル地区のシンボル
あえて、シャンゼリゼやサン=ジェルマン=デ=プレを東京の銀座や表参道にたとえるなら、ここモンマルトルは上野・谷中といったところだろうか。風景はまったく違うけれど、下町のにぎわいと街の起伏、そして文化や芸術が混在したところがちょっと似ているかもしれない。

坂道や階段の多い街はそのぶん車通りもまばら
モンマルトルの丘そのものはもちろん昔からあって、かつてはパリと別の村だった。日本人に身近なところでは、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが他の同志たちと一緒にイエズス会を立ち上げたのがこの丘。ザビエルは鹿児島に辿りつくおよそ15年前の1534年に「モンマルトルの誓い」を立てて、会を創設。キリスト教の布教に人生をかけることを友と確かめ合った。
そこから時代は下って19世紀の半ば頃。パリの都市改造で、中心部の通りが拡幅、建物が取り壊されて再整備されていく中で、引っ越しを余儀なくされた人々が移り住んでいったのが、まだ家賃の安かったモンマルトルだった。この頃、特に芸術家や労働者たちが集まり、そこに繁華街が生まれ、ムーラン・ルージュのようなキャバレー、劇場、バーなどありとあらゆる歓楽がここに揃う。世紀末にかけて景気が上向いていったことも幸いして「ベルエポック(良き時代)」と呼ばれるパリの全盛期がここを舞台に繰り広げられた。

数々の絵の題材になったダンスホール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」跡地は今レストランに
1881年には新しいキャバレー「シャ・ノワール」が誕生。ルノワールはカフェやダンスホールを描き、ロートレックは踊り子や娼婦たちを描き、ユトリロ、ピカソ、コクトー、マティス、ドガなど、この時代を代表する画家たちがそれに続いて、近代アートの流れを大きく変えていくことになる。
今でもふもとの「ピガール」という繁華街にそのにぎやかな雰囲気は残っているが、丘の上は迷路のような細い道に坂と階段、カフェやレストランにギャラリー、そして古くからのアパルトマンが建ち並んで、パリでも珍しいほど「懐かしい」街並みが広がる。車の行き来も少なくて、恋人たちや家族には最高の散歩路。2001年の映画『アメリ』の主なロケ地に使われてから、さらに人気を集めた。

静かなモンマルトルの道筋には子どもたちの声も響く
その懐かしさの中心地ともいえるのが、モンマルトル美術館だ。美術館のある「コルト通り」は画家のモーリス・ユトリロがいくつかの絵におさめているが、その面影というよりほぼそのものズバリのような光景が広がる。

モンマルトル美術館のあるコルト通り
その12番地にあるモンマルトル美術館の建物は、このユトリロに加え、彼の母でやはり画家だったシュザンヌ・ヴァラドン、オーギュスト・ルノワール、エミール・ベルナールなど、錚々たるメンバーがここを住居やアトリエとして使っていた。そしてシュザンヌ・ヴァラドンの愛人で音楽家のエリック・サティは、同じ通りの6番地に1890年から8年間住んでいた。

モンマルトル美術館エントランス
美術館は、こうしたモンマルトルの歴史や画家たちの絵画やオブジェなどの展示で構成される。時代の寵児として名を馳せたトゥールーズ・ロートレックらのポスターも数多い。そして建物の中で見逃せないのが、ユトリロとその母ヴァラドンが使っていた住居兼アトリエ。このスペース自体は時代の変遷とともにさまざまなアーティストが足跡を残していったのだが、2014年の改装でユトリロ母子の時代に復元された。

ユトリロの時代に再現されたアトリエ内部
当時の写真や文献などをもとに、オルセー美術館やオランジュリー美術館などの装飾デザインも手がけるユベール・ル・ギャルが再現した。ユトリロは若い頃から完全なアルコール中毒で、その治療のためもあって絵を描いていたらしいのだが、家具や画材が丁寧にならべられたこの部屋ばかりは困難な人生をまったく感じさせない穏やかさに満ちている。

寝室もそこにユトリロがいてもおかしくないほどリアル

アトリエの窓からは庭やモンマルトルの北側の風景が広がる
大きくひらけたアトリエの窓から見えるのは、今「ルノワールの庭」と呼ばれているこの館の中庭。ここはルノワールのいちばん有名な作品の一つ『ぶらんこ』が描かれた場所としても知られている。美しく手入れされた庭からは、サクレ・クール寺院の山に向かって張り付くようなアパルトマンが連なり、反対側には丘の下に向かってパリでほぼ唯一の葡萄畑が広がる。この風景を見ていると、都会にいることを忘れて、今にもベルエポックの画家たちが描いた登場人物が出てきそうな幻想にとらわれる。

美術館の別館へつづく小径も美しい

中庭からサクレ・クール寺院側を眺めるとアパルトマンがぎっしり

ルノワールの作品をイメージして作られたぶらんこ

美術館の裏手には葡萄畑まである
ここモンマルトル美術館がパリの他のどの美術館とも違うのは、まさしくこの建物を包む風景にほかならない。この界隈に残されたのどかな景色やアトリエ、庭がまるで舞台装置のようにその時代の空気まで伝えてくれること。一日いても飽きない、リアルな「体験型ミュゼ」がここにある。
モンマルトル美術館 Musée de Montmartre
12 Rue Cortot, 75018 Paris
(メトロ12号線ラマルク=コランクール駅から徒歩)
毎日開館(入場は閉館45分前まで)
10:00〜18:00 (10月〜3月)
10:00〜19:00 (4月〜9月)
(12月25日と1月1日は11:30〜18:00)
(7月・8月の毎週木曜日は22:00まで開館)
ウェブサイト(英語)http://museedemontmartre.fr/en/
Text / Photo:杉浦岳史/ライター、アートオーガナイザー
コピーライターとして広告業界に携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年より Art Bridge Paris – Tokyo を主宰。現在は広告、アートの分野におけるライター、キュレーター、コーディネーター、日仏通訳として幅広く活動。
Model:Rose Thorne