憧れの街に住もう
文京カルチェラタン※ 小石川【第2回】
由緒ある武家地の名残を今なお残す
静かなる高台の街
成熟した大人の感性に響く、上質なる住まい。
それが、モリモトのマンションブランド「ディアナコート」です。
Diana=月の女神、の名を冠したトップブランド、ディアナシリーズのなかでも、一切の妥協を許さないのが、そのロケーション。
都心に程近いだけでなく、最寄り駅にも便利な立地。さらにそこに広がる街が閑静かつ円熟していること。そこに住むことで感じる日々の上質が、住む人の喜びや充実感につながると私たちは考えているからです。
そんな「ディアナコート」が選んだ、次なるエリアが「文京区・小石川」。
山の手のお屋敷町として誕生、その跡地が教育機関に敷地に転用されたことから「文教地区」として確固たる地位を築いた「教育と文化の街」としても知られています。
「文京区・小石川」の街の魅力をご紹介していく本連載、第2回は、この街を象徴する坂を歩きつつ、緑溢れる街の素顔に迫ります。
街の昔に思いめぐらせ
武家地名残の坂道を歩く
東京メトロ茗荷谷駅を降りて、春日通りを後楽園方向に進むと現れるのが播磨坂の並木道。かつて、松平播磨守の上屋敷が広がったことから、この名が付けられ、その後、第二次世界大戦後の区画整理でできた、環状3号線の一部として整備されました。
春日通りから小石川植物園までを繋ぐように伸びる緩やかな坂道には、モニュメントが配され、周辺で暮らす人の憩いの場となっているよう。桜が満開に咲き誇る春もまた、見逃せません。
また、小石川の地にはほかにも、武家地の名残を残す坂が点在します。
播磨坂より少し後楽園寄り、東京学芸大学附属竹早小・中学校と住宅街との間に残るのが三百坂。
松平播磨守の屋敷から少し離れた場所にあったこの坂は、新しく召し抱えた「徒の者」がどれだけ役立つ者かどうかを試す坂であったと言われます。
小石川植物園の正門脇に伸びるのは、御殿坂。
この地が江戸時代に小石川療養所となる以前、五代将軍綱吉公の徳川館林藩の御殿があったことから、その名がつけられました。
それぞれの歴史の背景を思い浮かべながら、緑に囲まれた坂をゆっくりと登り、降りる。そんな散策の楽しみ方が、この地にはぴったりです。
文豪にも愛された、
高台に佇む徳川家の菩提寺・伝通院
小石川植物園から、御殿坂、播磨坂、三百坂と散策し、たどり着くのが伝通院。
ここは徳川将軍家の菩提寺で、“小石川”の名はかつてこの地に流れていた川に小石や砂が多かったことからついたとされます。
かつて文豪たちが数多く暮らしたエリアとしても知られ、明治12年、伝通院近くで生まれ育った永井荷風は随筆『伝通院』を残しました。
また、若かりし頃にこの地に下宿していた夏目漱石もまた、小説『こころ』をここで執筆。ほかにも、森鴎外、宮沢賢治など多くの文人、学者、政治家らが多く集まった地としても有名です。
そして、都内でも有数の庭園が点在するのも小石川の魅力。
前述の小石川植物園はもとより、駒込方面へ足を伸ばせば、六義園。
五代将軍徳川綱吉より下屋敷として与えられ、柳沢吉保自らが設計・指揮。
7年もの歳月をかけて完成させた日本庭園です。
六義園とともに江戸の二代庭園に数えられたのが、小石川後楽園。
江戸時代初期、水戸徳川家の江戸上屋敷内に作られた大名庭園で、今では国の特別史跡及び特別名勝に指定されています。
由緒ある地としての足跡を残し、四季折々に表情を変える緑豊かな高台、都心の中でも、その繊細で温かみのある風景を残す庭園。どこを切り取っても美しいその風景にまた、小石川の魅力を見た気がします。
(取材&文・坂本祥子 写真・清永 洋)
※ カルチェラタン
フランス・パリの5区、6区にまたがるエリアで、パリ大学をはじめ教育機関が集中していることから、昔から学生街として知られる。カルチェは“地区”、ラタンは“ラテン語”を意味し、直訳すると「ラテン語地区」。これは仏語が統一されていなかった時代、ヨーロッパ各地から集まった学生たちが、当時の国際言語だったラテン語で会話したことに由来している。