老舗の手みやげ

2019.06.07

神戸元町が生んだ
心癒される甘味
本高砂屋「高砂きんつば」

高砂きんつば/1個 162円 元町本店、神戸大丸店、神戸そごう店、三番街店で限定販売

時代に合わせた味わいで

神戸っ子の心をつかむ

 

開港以来、国内外の文化を柔軟に吸収してきた神戸。それを反映してか、神戸はバラエティに富んだ和洋菓子の街としても知られている。

 

その神戸を代表する手みやげのひとつが本高砂屋の「高砂きんつば」だ。まろやかで品の良い甘さの小豆をシンプルに楽しんでほしいという思いで、職人が一つひとつ手で焼いて店頭販売をしている。

 

この「高砂きんつば」が生まれたのは、明治30(1897)年。もともと京都の焼き餅から始まり、江戸で広まったきんつば。丸型で刀の鍔(つば)に似ていることから、きんつばと名付けられたという。本高砂屋の創業者である杉田太吉は、この江戸きんつばを大きく改良。皮はごく薄く餡はたっぷり、一度に広い面積を焼けるように角形の六方焼きにして売り出したところ、これが新しいもの好きの神戸っ子に大ヒット。港で働く人たちのおやつとしても、人気を呼んだ。

 

発売当初は食べ応えのあるものだったが、現在は小ぶりになり、甘すぎずふっくらとした小豆そのものの旨みを引き出せるように仕上げている。小麦粉は、きんつばの専用粉ともいえる、独自ブレンドで仕上げたオリジナル小麦粉『金砂御明神(きんさごおんみょうじん)』を使用。

 

素材の味わいを最大限に生かす努力と、焼きたてにこだわる発売当初の姿勢はそのまま、時代のニーズに合わせて少しずつ進化し続けている。

 

 

守るべきものはそのままに

新商品を生み出し続ける

 

創業時の『紅花堂』の様子

 

和菓子店で修業を積んだ杉田太吉が、本高砂屋の前身である『紅花堂(こうかどう)』を現在と同じ元町三丁目で創業したのは明治10(1877)年。当初は瓦せんべいが中心だった。

 

アイデアマンだった太吉は「どこにもない菓子を」という想いから、次々と新作を考案。屋号もそれに合わせて「高砂屋」、「本高砂屋」と改めていった。

 

明治30(1897)年には、高砂きんつばを販売。ロングセラー商品となり大正から昭和にかけては、新開地で評判の映画や芝居を見て元町通を歩き、行列に並んできんつばを買うのが定番に。昭和5(1930)年の帝国海軍の観艦式の日には、店先に観光客も混じえて100mもの列ができ、あまりの客の多さに20人もの職人が、焼いても焼いても間に合わなかったというエピソードも伝えられている。

 

昭和初期の本店の様子

 

平成9(1997)年には、4代目社長・杉田肇が高砂きんつばの餡だけで作った「高砂金鍔」を発売。小麦粉の衣をつけて焼く前の、旨味の部分だけを凝縮したいわば“生きんつば”ともいえる商品だ。

 

高砂金鍔・高砂銀鍔/1個162円

 

できたてにこだわる高砂きんつばの日保ちは1日。しかし、人気商品であるだけに、顧客から「遠方へも地方発送してほしい」「日持ちのするものを作ってほしい」という要望も多かった。試行錯誤の末、伝統の味をみずみずしいまま一ヶ月間保存することができる生感覚のきんつばは誕生した。

 

また、和菓子のみならず、洋菓子でもヒット商品を生み出している。昭和45(1970)年、3代目社長・杉田政二は、クレープを巻き重ねたビスケットのような食感のフランス菓子をヒントに、「エコルセ」を開発。透けるほど薄く焼いた生地を巻き上げた、ほかにはないサクッと軽い食感の焼菓子だ。これもまた、50年近く親しまれ続けるロングセラーとなった。

 

阪神大震災後、住み慣れた神戸を離れた人の中には「本高砂屋のきんつばが食べられる神戸に戻りたい」という人がいるそうだ。これほどまでに、神戸の人々の生活と心に根付いたお菓子はそう多くはない。本高砂屋はこの神戸の地で、これからも伝統を守り、時に伝統に挑んでいく。

 

 

本高砂屋

ホームページ:https://www.hontaka.jp/

 

神戸元町本店

住所:神戸市中央区元町通3丁目2-11

TEL:078-331-7367

営業時間:10:00~19:00

定休日:1月1日

 

※価格は税込み(2019年6月現在)

 

写真提供・本高砂屋 取材&文・SUMAU編集部