老舗の手みやげ

2019.02.13

四季の移ろいの
美しさを感じる
福島家「上生菓子」

日本の風景を

菓子で表現

 

巣鴨駅よりすぐの場所に店を構え地域に根付いた和菓子店としても、また甘味処としても愛され続けている「福島家」。店頭にはさまざまな和菓子がそろうが、なかでも同店が力を注いでいるのが上生菓子だ。

 

色とりどりの上生菓子

 

旧暦にあわせて、その季節の花や風景をあしらった上生菓子が長くても3週間ほどの周期で、15種類並ぶ。昔ながらの菓子に加えて、その時代に合わせた新たなデザインも取り入れているという。

 

その味は、菓子でありながらも上品な奥行きを感じる甘さで、白あんや小豆あんの味わいのバランスも絶妙。抹茶との相性が抜群でお茶会での需要はもちろんだが、見た目のかわいらしさから近年ではバレンタインデーやホワイトデーのお返しとしても重宝されているそうだ。

 

店頭に並ぶ菓子はすべて手作業にこだわり、使用する機械はミキサーくらいとのこと。毎日のわずかな気温の変化や、湿度の違いを敏感に感じ取り、職人がその日の最高の味が出せるように細やかに配慮しながら作る。店舗の地下に工房があるため、できたてをすぐに店頭に出せるのも特徴だ。

 

素材には添加物は一切使用しない。厳選した北海道産小豆、新潟産もち米を使用しているが、年度により出来の良いものを見極める。栗のみ契約農家と取り引きし、年に何度か出来具合を確認しに行く。国産の栗は大変高価なため、和菓子業界でも使用している店舗は全体の一割にも満たないそうだ。和菓子にかける熱い思いが素材や製法から読み取ることができる。

 

 

雛形帳から見える

人々の想い

 

「福島家」の歴史は古く、幕末の文久元(1861)年には営業していたという記録がある。

文久元年、和宮妃が家茂へ嫁入りする際に3万人とも言われる行列が、日本橋まで続く中山道を通った。当時、中山道の休憩場所となる立場(たてば)の役割を果たしていた巣鴨。宿泊場所を調査する軒別調査が行われ、その際の公文書に「菓子屋 権右衛門店 弥三郎 福島屋」と残されている。このことから、創業は今より170年以前になるのではと推測される。

 

昭和初期の福島家。店構えから当時から人気店であったことがわかる

 

この記録によると、創業時は巣鴨駅の南側に位置していたようだが、大正12(1923)年9月1日の関東大震災により被災し移転。徳川慶喜の屋敷の表門近くに店を構えたが、昭和20(1945)年3月10日の東京大空襲によりその店舗も焼失してしまう。戦後間もなく現在の地で営業を再開し、戦後の食糧難の中、なんとか砂糖などの製菓材料を集め、和菓子やしるこなどを提供していたという。

 

このような厳しい局面を乗り越えてきた福島家だが、そのなかで大切に受け継がれてきたものがある。それが、和菓子の雛形帳だ。

 

 

江戸時代のものとは思えないほど色鮮やかな雛形帳

 

お客から注文をとる際に、どのような仕上がりにするかを確認するための見本帳で、いわばカタログのようなもの。慶応3年の奥付があり、江戸時代のものだが色鮮やかで、いかに大事にされていたかがうかがえる。 これには素朴な見た目のものから慶弔用の凝ったものまで420種ほどが描かれている。

 

また、雛形帳には、開いた際の指の跡も残っており、楽しみながら和菓子を選ぶ往時の人々の笑顔まで見えてくるようだ。

 

 

雛形帳そのままの宮城の羹

 

この雛形帳にも載っている菓子には、今でも店頭に並んでいるものもある。小豆羹と抹茶羹を組み合わせた宮城の羹もそのひとつ。2色のコントラストが美しいシンプルなデザインだからこそ時代を超えて定番品となっている。

 

江戸、明治、大正、昭和そして平成と、伝統を守り続けながら日々、新たなおいしさと日本らしい美しさを追求し続けている福島家。だからこそ、店頭に並ぶ数々の和菓子に多くの人が足を止め、心躍らせるのだ。

取材・文/SUMAU編集部 撮影/三浦 大

 

 

福島家 巣鴨本店

住所:東京都豊島区巣鴨2-1-1

電話:03-3918-3330

営業時間:09:00〜19:00

定休日:水曜日