老舗の手みやげ

2018.10.05

懐かしさと新しさを併せ持つ
資生堂パーラー 銀座本店ショップ
「手焼き花椿ビスケット」

役者や文化人のファンも多く、太宰治の『正義と微笑』、森鴎外の『流行』など数々の文学作品に登場している「資生堂パーラー」。銀座のランドマークとして、創業から100年以上、訪れる人々の思い出を刻み続けている。

 

 

資生堂のシンボルマーク

花椿をかたどった洋菓子

 

昭和初期に登場した「資生堂パーラー」のロングセラー商品のひとつ、定番の「花椿ビスケット」。サクサクとした食感に素朴でやさしい王道の味わいは、当初から受け継がれ老若男女に愛され続けている。

 

 

手焼き花椿ビスケット40枚入 4,860円(税込) 賞味期限:製造より60日※銀座本店ショップで限定販売

 

 

缶とビスケットには資生堂のシンボルマークとも言える花椿が刻印されているが、この原型は1915年、初代社長である福原信三が自らデザインしたもの。信三はヨーロッパで美術を学んでおり、写真家でアーティストという才能豊かな人物だった。東京の銀座から世界に誇る化粧品を送りだすという大志を込めたという。

 

資生堂パーラーの焼き菓子は、パッケージなどのデザインワークにもファンが多く、なかでも「花椿ビスケット」の缶は、コレクターがいるほど人気が高い。味はもちろん、見た目の美しさからも贈答品としても広く用いられるようになった。

 

 

思わずコレクションしたくなるパッケージなどのデザインワークも人気を集める理由のひとつ

 

 

そんな「花椿ビスケット」を最高級の味わいまで高めたのが銀座本店ショップのみで限定販売されている「手焼き花椿ビスケット」だ。シンプルだからこそ素材や製法にこだわり、香り豊かな発酵バター、北海道産の小麦粉、甜菜糖、有精卵など素材を厳選し、菓子職人が心をこめて1枚1枚手作りで焼き上げているという。高級感の漂う黒い缶を開けるたびに、どこか懐かしい洋菓子の原点のような味わいに出会える。

 

 

伝統を守りながらも

常に革新を続ける

 

資生堂の創業者である福原有信は、1900(明治33)年パリ万博の視察後アメリカに立ち寄った際、米国式のドラッグストアを訪れた。そこでは、薬局の奥にソーダ水や軽食を出すカウンターがあり、顧客に薬以外でもサービスを届けたいと考えていた有信は日本でも同様の店を創ることを決意したと言われている。

 

 

1872年に日本初の西洋調剤薬局として創業した資生堂。写真は1919年頃

 

 

1902年にアメリカから取り寄せたソーダ水の機械(ソーダファウンテン)

 

 

2年後の1902(明治35)年には、出雲町(現在の東京銀座資生堂ビルが建つ地)にあった資生堂薬局の一角に「ソーダファウンテン」を設け、日本初のソーダ水と当時はまだ珍しかったアイスクリームの製造販売を開始。“本物”にこだわり、シロップやグラス、ストローなどの細かなものまでアメリカから直輸入していた。こうして売り出されたソーダ水は、当時としては高額だったが、ソーダ水1杯につきオイデルミン(化粧水)を1本サービスするというキャンペーンが大ヒット。流行に敏感なモガや新橋の芸者が店に押しかけ、今に続く「資生堂パーラー」の一歩は大成功をおさめた。

 

1923(大正12)年には、銀座一帯が関東大震災に見舞われ、資生堂薬局もそのすべての設備が失われる大きな被害を受けた。しかし、わずか2か月後には仮設店舗で営業が再開。仮設店舗といっても、パリで美術を学んだ川島理一郎によるデザインは、壁画が描かれるなどパリのカフェを思わせるオシャレな佇まいだったという。

 

そして、1928(昭和3)年には、知名度が高かったメニューから屋号を「資生堂アイスクリームパーラー」とし、本格的な西洋料理店として生まれ変わる。現在の看板メニューである「カリーライス」や「チッキンライス」もこの頃に生み出された。カレーは当時も多くの食堂にあったが、ソースポッドでごはんと別に盛り付け、チキンライスは銀のフタつきの器で提供するなど、ほかの食堂とは違った高級感が訪れる人の心をつかんだ。また、1930年頃からは時代の流れとともに商品を拡大しケーキやクッキーなどの手みやげも販売するようになっていった。

 

震災後の大きな苦難として戦争が挙げられるが、戦中戦後の食糧難のなかでも野菜を売り歩く農家から直接食材を仕入れ、限られた食材を使った定食メニューなどでなんとか店を維持した。そこには、生きることにつながる食に関わる者としての使命のようなものがあったのではないだろうか。

 

1962(昭和37)年9月には当時の銀座では最高層となる地上9階、地下3階の資生堂会館が竣工。東宮御所を手掛けた建築士の谷口吉郎が設計し、館内のエレベーターの装飾は龍村平蔵の作品を使用するなど意匠をこらしたものだった。

 

 

銀座のランドマーク的存在でもある東京銀座資生堂ビル

 

 

現在の東京銀座資生堂ビルがオープンしたのは2001(平成13)年。創業の地で、現在は洋菓子のショップから、カフェ、バー、レストランを擁する食文化の発信地として、銀座を訪れる人々を迎えている。

 

近年では、2016年8月のシンガポール海外初出店に次ぎ、2018年9月に台湾へ進出。10月1日には、東京銀座資生堂ビル10 階に新生「ファロ」をオープン。エグゼクティブシェフにイタリア料理界の最前線で活躍し、ふたつのレストランにミシュランの星をもたらした能田耕太郎を迎え、現代イタリアンが備える伝統と先進性に、日本の食材や食文化を重ね合わせたオリジナリティあふれる新しい食体験を提供していく。

 

一流の店が集う銀座の地で100年以上もの間、“本物”を探求している資生堂パーラー。昭和の香り漂う懐かしい味から、世界をけん引する味まで、時代も国境をも超えたおいしさを変わらずに銀座から発信し続ける。

 

資生堂パーラー 銀座本店ショップ

住所:東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル1F

TEL:03-3572-2147

営業時間:11:00~21:00

定休日:年末年始 ※2018年10月15日(月)は臨時休業

URL: https://parlour.shiseido.co.jp/