映画ソムリエ東 紗友美の「映画と暮らす」
ほんの少しの意識の変化で
自分を変身させていく方法
「おと・な・り」
突然ですが、あなたを構成しているものについて教えてください。
その答えは、無数にありますよね。
メイクなのか?
ファッションなのか?
髪型なのか?
持ち物なのか?
仕事なのか?
読んできた本なのか?
周りの人間なのか?
数々の要素の集合体が今日(こんにち)のあなたを作っています。
しかし、自分をつかさどる要素の1つに普段の「生活音」の存在が大きく占めていることに気付けている人は、どれほどいるのでしょうか?
この物語は、私たちの家で過ごす時間にちいさな気付きを与えてくれる不思議な効力を持ったあたたかなお話です。
映画「おと・な・り」(2009)は、都会のアパートの隣同士の部屋で一人暮らしをする男女(岡田准一・麻生久美子)がダブル主人公。
一度も顔を合わせたことはない“おとなりさん”の二人が、朝のコーヒー豆を挽く音や心地良い鼻歌、くしゃみ、涼やかな風鈴の音など、壁越しに聞こえる何気ない互いの生活音によって、癒され、徐々に惹かれ合っていく様を丁寧に描いている。
さて、壁越しの二人は映画が終わるまでに出会うことができるのか…?
男女の恋の行方を「生活音」にフォーカスしながら描く、新鮮でいてどこか懐かしい、やさしい音に包まれた穏やかな恋愛映画です。
「生活音」。
普段、あなたはどれほど意識していますか?
恥ずかしながら、私自身の場合はとにかくひどい!
外では澄まし顔で仕事をして、細やかな女性の仮面をかぶっていても、帰宅した瞬間、ガサツな人間に一瞬で変身してしまうのが日常です。
帰宅した瞬間、ドスンと音を立てて鞄を置き、外ではクチュンと無理に可愛らしくしているクシャミも大きくハックションとし、おまけにカーテンはザザーっとレールが悲鳴をあげるように強く閉めてしまいます。
家のドアを開けた直後から一瞬にしてオフモード、動きが丁寧でなくなり何かにつけてひとつひとつの”生活音”ががさつな人間になっているのです。
残念ながら、どう小綺麗に身なりを取り繕ったところで、これが私の”素の姿”というものなのでしょう。
また、辛いことがあった日はお皿をガシャンと置いてしまうことも。
日常の行動から生まれる何気ない音は、自分の心の声を聞くバロメーターでもありますよね。
生活音を少し意識するだけで大切な人の機嫌を察知できる、心を覗くひとつの手段でもあるのだと当たり前のことを思い返します…。
あまり意識していなかったけれど生活から生まれる音イコールその人自身なのだと映画に気付かされたのです。
そして、おとなり同士に暮らす男女がお互いの生活音に惹かれてあっていく様子から垣間見えたのは、一緒にいて居心地の良い女性の条件。
それは、生活音がやさしく穏やかであること。
家で誰にも見られていなくても、日常の音の柔らかさをこれまでより意識するだけで、自分に変化が生まれるのではないでしょうか。
マザー・テレサの有名な言葉で「行動はいつか習慣になり、習慣はいつか性格になる。」という教えを説いていましたよね。
日々の小さな行動の蓄積が、上品じゃない私を作っているのかも…。
美しい所作を学ぶ本を読んだこともありますが、結局私には根付きませんでした。今思い返すとその理由は、根っこの部分が変わってないからだったのではないかと妙にピンときました。
まず、自分が紡ぎだす音に意識を向けることが丁寧で細やかな女性に近づくヒントなのかもしれません。
実際、この映画に登場するような隣人の生活音がダダ漏れの家は実際には居心地が良いとは言えません。ですが、そんなことすらドラマティックかつファンタジックな世界観に昇華させてしまった特別なこの物語は、恋愛模様だけでなく人間関係のすべてが素敵です。
代わり映えのない毎日だと思っていてもその日々には実はちいさな変化が起きていて…。
そんな些細な出来事の積み重ねこそが長い時間軸で見れば、大きな変化となっていく。
そんなメッセージを踏まえた「おと・な・り」は時に、自分が何も成長できていないのでは、と戸惑う日々もある葛藤を抱えた大人をやさしい音で包んでくれます。
エンドロールまでが秀逸で、人生で何度も見返したいと思うはず。
本作こそ、自分にとって最も安らげる場所”家”で観るべき作品です。
いつも聞こえるのが当たり前の音を“基調音”と言うそう。
週末、上質な映画とともに、やさしい基調音に包まれた時間を過ごしてみては。
映画ソムリエ 東 紗友美(ひがし・さゆみ)
1986年6月1日生まれ。2013年3月に4年間在籍した広告代理店を退職し、映画ソムリエとして活動。レギュラー番組にラジオ日本『モーニングクリップ』メインMC、映画専門チャンネル ザ・シネマ『プラチナシネマトーク』MC解説者など。
Instagram:@higashisayumi
Blog:http://ameblo.jp/higashi-sayumi/