フランスの美しい村
奇怪な岩山と聖母マリアに護られた
巡礼者の聖地、ル・ピュイ=アン=ヴレ。
はじめてこの街を訪れた人は、奇怪な巨大岩の存在に驚くだろう。街の中であまりに唐突に、空に向かって飛び出した絶壁。今はそれが過去の火山の噴気口と誰もが知っているが、フランスの先住民であるガリア人は、そこに神の存在を感じ、信仰の対象とした。
パリからTGVに乗ってフランス中部の大都市リヨンに南下し、そこから地方電車に乗ってさらに2時間半。途中から深い山あいの単線になり、ロワール川の上流を沿うように走る。そしてやや突然に都市が現れると、そこが終着点の街、ル・ピュイ=アン=ヴレだ。
山の合間に広がる静かな大地に、幾筋も流れる清流。そしてこの屹立する岩。外からの防御もしやすく穏やかな盆地には、ローマ帝国の植民地時代に人々は街を造り、やがてキリスト教が入ってくるとそこは時を経て「聖地」になった。
「聖地」には多くの場合、聖人の墓や遺骸などの「聖遺物」か、不治の病が癒されるといった「奇跡」の伝説がある。ここでは悪性の熱病に冒された女性が、聖母が指し示す大きな石に横になるとそれが治ったという奇跡の癒しが伝えられ、その石とされる石盤も残されている。この「熱病の石」の逸話は、スペインからイスラム教徒がやってくるほど知られるようになり、さらに聖人にも列せられた敬虔なカトリック教徒のフランス国王ルイ9世が、「黒い聖母」を教会に与えたことで聖地としての価値が高まり、多くの巡礼者を呼んだ。
ちょうど同じ頃、イエス十二使徒の一人、聖ヤコブのものとされる墓がスペイン・ガルシア地方の地で再発見されるという奇跡が起こる。813年にそこに聖堂が建てられると、瞬く間にローマ、エルサレムに並ぶカトリック三大巡礼地のひとつになった。今も世界中からの年間10万人もの巡礼者を集める「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼」の始まりである。
中世にはこの2つの聖地が結びついて、サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう主要な巡礼路となった。今でも「ル・ピュイの道」として、ここル・ピュイ=アン=ヴレを起点に巡礼の旅に出る人は少なくない。この「黒い聖母」のあるノートルダム大聖堂は、1998年に「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部としてユネスコ世界遺産に登録された。その前の長い階段から始まる巡礼の道は約1600km。実際に踏破を目指す人、何回にも分けて旅を続ける人、自転車等を使う人など、それぞれがそれぞれの思いと方法で旅路へ向かう。
漁師であったという聖ヤコブのシンボルは「帆立貝」。フランス国内で巡礼路にあたる道には、帆立の貝殻のマークの道標や案内が施されている。フランス語では帆立貝のことを「聖ヤコブの貝」と呼ぶが、世界遺産のヴェズレー、モン・サン=ミッシェルなど多くの場所でこのマークを見ることができる。
1600kmの巡礼がとても無理なら、この街に聳える2つの岩に登るという穏やかな試練はいかがだろう。ひとつは、大聖堂のすぐ横にある「フランスの聖母マリア像」が立つコルネイユ岩山。こちらは近代になってから1860年に完成した新しい像で、ナポレオン3世率いるフランスがクリミア戦争でロシアに勝利した時に奪いとった大砲を溶かして造られた。街でいちばんの高さから眺める風景は、少し腰が引けるほどの素晴らしさだ。
そしてもう一つは、約82mのエギーエ岩山。頂上にあるサン=ミシェル礼拝堂の中の天井や壁に描かれた美しいフレスコ画は、268段の急な階段を登り切った人だけが鑑賞することのできるご褒美。ロマネスク、ゴシック時代のものが近年になって発見、修復されたものだ。
2つの頂を制覇したあとは、おいしい名物料理を味わうのが鉄則。この地方の特産は小さなレンズ豆。これにこんがりローストしたソーセージを添える料理がよく知られる。小粒ながらも、中がふっくらと芋のような柔らかさが感じられたらおいしいレンズ豆の証拠だ。
まもなく春を迎え、冬は少なかった巡礼者たちが戻ってくる。ノートルダム大聖堂では4月から秋までは毎朝7時にミサが行われ、巡礼者たちを送り出す。そして聖母マリア被昇天の日8月15日には毎年約15000人の巡礼者や観光客、市民が見守る中を「黒い聖母」像が教会から行列とともに運ばれ、荘厳な雰囲気のなか街中を練り歩くという。
それまでもうしばらく、ル・ピュイ=アン=ヴレには、静かな聖地の景色が広がる。昔から旅人たちを迎えてきた街ならではの人々の温かな笑顔とともに。
取材・文/杉浦岳史
Le Puy-en-Velay ル・ピュイ=アン=ヴレ
43000 France
パリからはフランス国鉄のTGVでリヨンまたはサンテティエンヌへ。そこからTERでアクセス
観光案内所ウェブサイト
https://www.lepuyenvelay-tourisme.fr/